「まだ若いのにねえ。これから年金もらえるのにねえ。これからなのにねえ。勿体ないねえ」
と取引先の担当者の告別式の帰途でぼくは溜息をついた。
ぼくより二十年上のひとだった。
そうだな。平均寿命からみると若い。退職金を手にして家のリフォームでもして蓄えと年金でリタイアして年に数回奥さんと温泉旅行でもして。そういった悠悠自適といった余生を描いていたのかもしれない。
ぼくもそういった計画くらい夢想することがあった。
ほんの数ヶ月まえに、ぼくと同年の友人が他界したところだ。癌だった。手遅れだった。若いと代謝も旺盛なのだろうかと憂鬱になった。
その友人とは、よく飲みに行った。
ぼくは管理職としてのストレスの反動で酒浸りだった。仕事の将来が不安である。部下は指図しても言うことをきかない。マネジメント能力不足なのだろうか。もう少し気楽に構えていてもいいがそれで事業が左前になったらという恐怖があった。失うものが大きければ大きいほど、失うものが多ければ多いほどその恐怖は膨れ上がる。また不本意でもあった。
仕事で帰りが遅いので食事と称して飲み食いしていた。仕事で午前さまになることが多かったが、早く帰れるときも敢えて帰ろうとしなかった。家で、ぼくの不機嫌さが妻に伝染した。
妻に心療内科みたいなところに連れて行かれた。
「重症ですねえ。何度も通われて、じっくりとこの件について克服されることが最良です」
かなり高額な料金だったので、通わないことにした。高度な資本主義は市場を自らつくりだす仕組みになっている。金は入っただけ出て行く法則になっている。
悲観的に考えると、このような生活をしていると他界した友人のように死ぬ日も遠くないだろうなあと思った。弔いの日の夜にカウンターでラム酒を飲みながらそう口にすると
「でもあんたの胃腸、ジープみたいに丈夫そうだから。長生きできるさ。出来はよくなさそうだけど」
とバーの常連客に笑われた。
ワインを一瓶以上空け、ラム酒を飲みすぎたので足がもつれた。路上に蹲った。少少悪い汗が背中をつたった。世の中のいろいろなことが面倒臭くなってきた。どうでもいいや、と仰向けになった。
すると上から声をかけられた。誰だろう。すると柔和な感じで
「ルシフェルと申します。じつはあなたに御提案がありまして」
なんだそのルシフェルってのは。提案ってのはどういうことだ、と訊くと
「あなたはいつ死ぬのか、知りたくはないですか?」
勿論知りたい、と言った。
「お教えできることはできます。しかし、お教えするとなるとその対価が必要となります。率直に申しますと知らなかった場合より三年寿命が短くなります」
うーん三年とは微妙なところをついているなあ。考えてしまった。残りの人生が二十年だったら十七年になるだけだ。まして四十年生きるのだったら三十七年になるだけだ。老後の心配をして細細と生きるのは厭だった。七十歳を越えるとアフリカや南米に行きたいと思っても行く体力はないだろう。
それが
いつ終わるのか理解ればその残された期間で「できること」を「できるあいだ」に行えるように予定を組み、貯蓄の残高を調整することができるし充実させることが可能だ。素晴らしいことではないか。是非とも教えてくれ、とぼくは言った。
「いいんですか本当に。予定の死期より三年早くなりますが」
生きていると厭なことはいっぱいあるし、いいこともある。長い場合も短い場合もある。要は生活の質だ。唾を呑み込んでぼくは躊躇しながら頷いた。
「いいよ」
ルシフェルはクレジットカードの有効期限でも教えるような厳守さを欠いた軽い口調で言った。
「後十年です。宣告通知分の三年を引かせていただいきますので後七年ということになります。よろしいでしょうか」
宣告後、ルシフェルは飛び去ってしまった。
翌朝になってぼくはあれは悪夢だったんだと自分に言い聞かせ平平凡凡とした毎日を送ることにした。あれは夢で長生きしたとすれば損じゃないかと浪費もしなかった。へそ曲がりなのである。
その七年目が今年なんだけど。
もとねたは
こちら、じゃあねー。