2012年02月20日

裕福な団塊の世代はありそうだが、腕時計好きの若者ってレアだと思うけど

朝日新聞のサイトが変わっていたのにいまさらながら気がついた。有料サービズがあるらしくて「ダブルコースは、朝日新聞(宅配)+1000円(月ぎめ)と、とってもお得でおすすめ」と宣う。うーん、何ともそんなにお得な感じはしないけれど。
でもってサイトのコンテンツにどらくとゆうのがあった。「朝日新聞がビートルズ世代に贈る、こだわりエンターテインメントサイト」と臆面もなく謳っている。恥づかしいなあ。
わたくしより少し上の年代の所謂団塊の世代狙いである。
旅行、財テク(古い表現ですまぬ)、健康、凝った趣味、映画といった情報が入っている。うーん、狙いが金銭的に余裕のある、高学歴で、こだわりを探している層が対象となっている点が露骨である。流石天下の朝日新聞である。こういったひとたちを顧客にしているのか。別にいいんだけどね。

同じような雰囲気のサイトが誠styleである。こちらは「こだわる男の等身大を描く、本質を見極める力を磨く自分好みのライフスタイルを追求する男のオフタイムを充実させるオンラインメディア。ありきたりじゃ満足しない、でも背伸びをし過ぎない、そんな20代〜30代の大人の男たち」が対象になっているのでありました。

makoto.bmp
やたらと、腕時計時計しているのである。それとバイク・自動車の記事も多い。18枠の記事のなかに

8枠(腕時計)
6枠(バイク・自動車)
2枠(映画)
2枠(ファッション)

といった構成になっていて時計とバイク・自動車が双璧をなす。「20代〜30代の大人の男たち」は腕時計なしでケータイ、スマートフォンを時計代わりにしているひと多く、また若者の自動車離れとといった傾向も顕著である。まあ大量のウェブサイトのなかの一部だろうけどちょっと乖離しているような気がしてならない。ちうか時計屋と結託しているような疑いも持つ。
まあどーでもいいんですけど、高級時計を身につける大人の男たちは三十年後には、どらくしているのかなあと思うと何だか複雑な思いになったのでした。ひがんでいる(笑)わけじゃあないからね。

タグ:世代間の溝
posted by 井上勝裕 at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月19日

キャバレーの存在価値

わたくしはキャバレーに一度だけ行ったことがある。あんまり好きではない。何故なら女性が屯して勝手に他人の酒を飲もうとゆうのが頗る疲れるからである。そうゆう意味ではスナックも同じだろうけどつきあいで行ってしまうことがある。おとなしめの店だったら得した気分になるわけだ。
キャバレーの勢力は弱ってきている。しかし、それでは困るひとが出てくる。
ジャズミュージシャンである。
道下のライブのときに聞いた話でありますが、キャバレーは実技の学校だったらしい。しかし、衰退してその「場」が少なくなってきていると危機感を持っているのである。
そう言えばわたくしの若い頃はキャバレーがまだ沢山あったし、実際彼は非道い目にあったりしたけれども勉強になっただろうと推察する。二十歳前後のとき一度仕事のバンドのひとたちと魚三昧の旅行に行ったことがあるが、一団はめっちゃ飲むわ食うわ、頗るフレンドリーでありました。世代も若いのから、現在のわたくしくらいかどうか年齢不詳のバンマスさんがいらっしゃって、体育会系に近いものを感じた。楽しい時間でしありました。

いくら才能があってもそれを開花させる「場」がなければ、文化は枯れてしまうぜよ。
合衆国に向かうしかないかもしれない。ダルビッシュのレンジャーズ契約のニュースでそう思った。
よくよく考えればキャバレーはブラック企業とも言えるし、職人の修行の場とも解釈できる。てなことむづかしく考えないで何しかジャズ関係ないでおじさんはキャバレーで遊興してほしいものである。
ライブハウスも気軽に行って欲しい。客がわたくしひとりだけのときがあって、そんなときは気の弱いので帰りづらくてトラウマになっておりますけれど(笑)。

1324_20111212163010_0240_0240.jpg
『You Can Dream ~Remaster~ / 道下 和彦』
これは十数年前の彼の作品のリマスター版であります。よさげです。
因みに右サイドに一年以上前から彼の『CARAVAN』のiTunesを貼り付けてますが、売れたのだろうか。ちょっと気になる。
タグ:JAZZ
posted by 井上勝裕 at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月22日

キムジョン二世とイブモート

ぐへえ。ここのところ過密スケジュールである。

さて、既述したことなのだけれどやっぱ、キムジョン二世に見えて仕方がない。
Kim2.bmp
昨日のWSJより。
正確に間違えるなら(笑)「King Kim Jong」だなあ。

同じような現象として「Evernote」がある。フォントにもよるけれど、わたくしにはどーしても「Evemote」と誤読してしまうのであります。同じようなひとが多いようでして
evemote.bmp
Evemoteでググっても第一位(笑)。イブモートじゃん。過失ではなく故意にドメインつくってしまったりして。
ここんとこ、慌ただしいのでこの辺で。

つながり)「Iとlと1のおバカな混在」
posted by 井上勝裕 at 09:13| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月22日

ちきりん嬢は自分の死期を知っているのかもしれない

「まだ若いのにねえ。これから年金もらえるのにねえ。これからなのにねえ。勿体ないねえ」
と取引先の担当者の告別式の帰途でぼくは溜息をついた。
ぼくより二十年上のひとだった。
そうだな。平均寿命からみると若い。退職金を手にして家のリフォームでもして蓄えと年金でリタイアして年に数回奥さんと温泉旅行でもして。そういった悠悠自適といった余生を描いていたのかもしれない。

ぼくもそういった計画くらい夢想することがあった。

ほんの数ヶ月まえに、ぼくと同年の友人が他界したところだ。癌だった。手遅れだった。若いと代謝も旺盛なのだろうかと憂鬱になった。
その友人とは、よく飲みに行った。
ぼくは管理職としてのストレスの反動で酒浸りだった。仕事の将来が不安である。部下は指図しても言うことをきかない。マネジメント能力不足なのだろうか。もう少し気楽に構えていてもいいがそれで事業が左前になったらという恐怖があった。失うものが大きければ大きいほど、失うものが多ければ多いほどその恐怖は膨れ上がる。また不本意でもあった。
仕事で帰りが遅いので食事と称して飲み食いしていた。仕事で午前さまになることが多かったが、早く帰れるときも敢えて帰ろうとしなかった。家で、ぼくの不機嫌さが妻に伝染した。
妻に心療内科みたいなところに連れて行かれた。
「重症ですねえ。何度も通われて、じっくりとこの件について克服されることが最良です」
かなり高額な料金だったので、通わないことにした。高度な資本主義は市場を自らつくりだす仕組みになっている。金は入っただけ出て行く法則になっている。

悲観的に考えると、このような生活をしていると他界した友人のように死ぬ日も遠くないだろうなあと思った。弔いの日の夜にカウンターでラム酒を飲みながらそう口にすると
「でもあんたの胃腸、ジープみたいに丈夫そうだから。長生きできるさ。出来はよくなさそうだけど」
とバーの常連客に笑われた。

ワインを一瓶以上空け、ラム酒を飲みすぎたので足がもつれた。路上に蹲った。少少悪い汗が背中をつたった。世の中のいろいろなことが面倒臭くなってきた。どうでもいいや、と仰向けになった。
すると上から声をかけられた。誰だろう。すると柔和な感じで
「ルシフェルと申します。じつはあなたに御提案がありまして」
なんだそのルシフェルってのは。提案ってのはどういうことだ、と訊くと
「あなたはいつ死ぬのか、知りたくはないですか?」
勿論知りたい、と言った。
「お教えできることはできます。しかし、お教えするとなるとその対価が必要となります。率直に申しますと知らなかった場合より三年寿命が短くなります」
うーん三年とは微妙なところをついているなあ。考えてしまった。残りの人生が二十年だったら十七年になるだけだ。まして四十年生きるのだったら三十七年になるだけだ。老後の心配をして細細と生きるのは厭だった。七十歳を越えるとアフリカや南米に行きたいと思っても行く体力はないだろう。

それがいつ終わるのか理解ればその残された期間で「できること」を「できるあいだ」に行えるように予定を組み、貯蓄の残高を調整することができるし充実させることが可能だ。素晴らしいことではないか。是非とも教えてくれ、とぼくは言った。
「いいんですか本当に。予定の死期より三年早くなりますが」
生きていると厭なことはいっぱいあるし、いいこともある。長い場合も短い場合もある。要は生活の質だ。唾を呑み込んでぼくは躊躇しながら頷いた。
「いいよ」
ルシフェルはクレジットカードの有効期限でも教えるような厳守さを欠いた軽い口調で言った。
「後十年です。宣告通知分の三年を引かせていただいきますので後七年ということになります。よろしいでしょうか」
宣告後、ルシフェルは飛び去ってしまった。

翌朝になってぼくはあれは悪夢だったんだと自分に言い聞かせ平平凡凡とした毎日を送ることにした。あれは夢で長生きしたとすれば損じゃないかと浪費もしなかった。へそ曲がりなのである。
その七年目が今年なんだけど。

もとねたはこちら、じゃあねー。
posted by 井上勝裕 at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月17日

非常に天国へ行ってしまったコルトレーンの季節

わたしたちは 雨季を知っている
彼の
ジョンの いきのながい
ソロで えんえんと つづける雨季を
(『死んだジョン・コルトレーンに捧げる』白石かずこ)

夏だ!夏になるとジャズなのだ、自分的には。
この夏の始まりの目途としているのが、ジョン・コルトレーンの命日で七月十七日である。女子蹴球に気を取られてしまってアップするのを忘れておりました。
410BVK4BZAL._SL500_AA300_.jpg
Blue Train
音楽データ配信の音でもいーけど、あの三十センチの大きさジャケットのほうがいいなあ。ジャズ喫茶の衰亡はCDになってから加速化したように感じる。
こないだ焼き鳥屋で食事したときに、店のBGMが塩ビのレコード盤であった。いいなあやっぱり。昔の録音は昔の媒体がいい。
わたくしは誤解されている点があって、高級オーディオ(含レコードプレイヤー)が当然の如く備え付けられたチーク材を奢った男の書斎なんぞがあるんでしょう、みたいなところがあるらしい。とんでもない。
鶏小屋の片隅のソファで睡眠を摂るといったハードボイルドな暮らしをしております。ソファも汗が附着するといって使えなくなるのもこの時期からであります。
二日遅れて済みません。(この配信は7/19にされました)
タグ:JAZZ
posted by 井上勝裕 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

鮨屋でトラブル(かっぱ寿司編)

かれこれ十年前、某休日の昼にかっぱ寿司に行ったときのことである。
わたくしが座したのはコの字型になっているカウンターで向かい側はファミリー席とでもゆうべきテーブルであった。テーブルには低学年の小学生らしき女の子が二名とその両親の四名であった。こども二名はベルトコンベア側で両親二名は通路側といった極めて説得力のある座り方をしていた。鮨ののった皿は彼らから流れてくるので、こちらは下流でありました。女の子は活発そうであり、髪をポニーテイルにしていた。
少し厭な予感がした。
何故かとゆうと女の子が非常に活発であり、落ち着きがなく、鮨と接触している気配がしたからである。気配が気配ではないのが判明したのは、上流から流れてきたマグロをゲットしようと観察していたら、彼女等の髪と接触したことを認めたからである。マグロは数皿連続して流れてくるのであるが、どのマグロと接触したのか不明である。わたくしはマグロを諦めた。
ならば次に来るサーモンをと狙いを定めたが、女は(もう女でいいだろ)再度厭がらせのように新しく流れてきたサーモンの皿の前で、顔の向きを変えた。ポニーテイルの髪がなびいた。そしてサーモンの皿を撫でた。
おお神よ。
このようなことが赦されていいものか。わたくしだけではない、わたくしの下流にもマグロやサーモンを所望する客はいるわけだし、二度目に流れてくるかもしれない。
わたくしは揉めるのが厭だったので店員を呼んで注意を促すように頼んだ。いかにもバイトでええすって感じの店員は
「はあい、承知しました」
と応えた。しかしながら注意はなく、イクラやイカの表面を女の髪が撫でた。ああウナギが流れてきた。あれを食べるぞう。元気出すぞう。
しかしこれもまた、活発な女の髪が触れた。タレがついてべとべとするではないかといった余計な心配をしている場合ではない。わたくしは店員を呼んで同じことを言った。
「かしこまりましたあ」
と前と違う店員が明るく対応するが、店側から注意はない。とゆうことはこの憂慮すべき事態を看過することの表明であり
「かっぱ寿司といたしましては、皿上の衛生状態には関知いたしません。あとは御客様の自己責任にてお願いします」
とゆうのが基本的な姿勢だと解釈した。

切れた。
バカ女二名とその両親に
「あんたら何考えとるんや、あんまりにも非常識やないか」
と直接注意し
「店の責任者出さんかい」
とやしきたかじんした。店長だかマネージャーだかしらないが笑顔の男が来たワケで
「かっぱ寿司さん、あんたとこは何かい、客の髪の毛が当たりまくりの、さわりまくりの鮨を喰わすちゅうわけやなあ」
とバカ家族に聞こえるよう大声で大人げなくも言ってやったら、めっそうもございませんとしらばっくれて謝るのだが
「おおっ、二回も店員さんに注意するようにお願いしてんけどなあ。なあんにもしてくれへんかったやないか。あんじょうしてくれへんかったらそない考えるしかあらへんやないか」
とこれまた他の客にも聞こえるように言った。さすがにバイトですからとはいいわけはなかった。

数分後に勘定を支払ったさい経緯を知らぬ離れた場所にいた客たちから
「あのひと、ちょっとヤバ目だから近寄らぬようにね」混じりの冷ややかな視線を一部浴びながら、わたくしは店を後にした。

あれから、わたくしは二度とかっぱ寿司には行ったことがない。あれから業務改善されているだろうと確信する、とーぜん。

追記)
固有名詞を出すのも大人げないかなと思ったが説得力がないと判断して敢えて実名にした。
posted by 井上勝裕 at 01:33| Comment(1) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

鮨屋の話題でトラブル(小僧寿し編)

鮨屋の件で一悶着起きたことがあったのだ。
時効だから実名を出しても構へんでしょう、と勝手ながら解釈する。

現在から三十年前のことだった。
学生の頃学校の最寄り駅より一駅ずれた飲み屋で、友人と気分よろしく飲んでおった。この友人の父は鮨屋の職人であった。しかも、この飲み屋の向かいには小僧寿しがあった。友人は
「小僧寿しは本当の鮨と違う」
とわたくしに語った。「本当の鮨」の定義は相対的なものである。その意見に対し、まあ気持ちは理解るし、そうゆう考えもあろうと同意しながら、串カツ、天ぷら、きずしの格安満足度の高い黄金セットで酒を気持ちよく飲んでいたのであった。
向かいで飲んでいる中年のおじさんが、近頃の学生はどうもいかんな云云の紋切り口調(おいおいATOK、もんきりぐらい仕事しろよ)で学校名をあげながら殺人ビームを送ってくる。まあよくあることだしなあ、とスルーしていたが。
でもって勘定をしてもらうこととなった。店主はわたくしにお釣りをわたしながら
「あのなあ、この店にはコゾウスジのかんけーのお客さんも来るんや。あんたら悪口言っとったやろ、二度と悪口言うな、理解ったか」
と宣った。
切れましたね。
若かったし、酔っていた。しかし、こちらが料金を支払いお釣りを渡している状態でこれは筋が通らんやろが。それやったらこちらの立場を非難していた中年の客はええのかいな、おとなしゅうしてるから言いたい放題で金を徴収されてだまっていられるかい!まだ「金はいらんからすぐに出て行きやがれ。おい塩まいておけ」ちゅうんやったら芝居がかっているが、理解る。わたくしも曲がりなりにも水商売の接客のバイトをした経験上「おおきに」を客に対しては言わねばならぬ世間様の道理ぐらいわきまえているのである。
ぢゃあ、固有名詞を発しながらこちらを誹謗中傷した(大袈裟だが)客には寛容で、現在完了形状態の客であるこちらは客扱いされていないのであれば、いかれこれではないか、てなことを反論してしまい争いは始まった。
不毛な言い争いの果てに、店主は包丁を片手に威嚇し突っかかって来た。うへえ。やばい。こちらは丸腰である。周囲も殺気を感じたらしく止めに入った。しかしなあ、何とも理不尽だなあと思いつつ、仲裁が介入して何とか収拾がついたが、刃物を持っている相手は強いし、若造は弱い。
昭和の牧歌的なワンシーンでありました。

追記)
本文に於いて小僧寿しを誹謗する意図はない。単に価値観の相違だと考える。

タグ: 北野誠
posted by 井上勝裕 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月20日

アナログできない電子書籍

わたくしの表記には一応「掟」のようなものがございます。読み難いとの指摘がございますので、これからは若干空間を設けようとは心がけます。

段落の変更時に所謂「字下げ」をしない。

連続した表示に「々」は用いない。(続続とか益益とか)

前者はHTMLに「字下げ」の機能がないので、スペースとかタブとかで字下げしている方がいらっしゃるのですがむごいことになる場合がございます。メイル文で原稿をいただきますと困ったことになります。タブなんて使われたら悲惨。
一応アナログの原稿用紙の書き方教育を受けてきたので一字下げないとなあと思うのですが。解決法はあるのかなあ。
アナログの場合、所謂禁則といったものがあり、行の頭に「句読点や括弧括る」は用いないですし、行の末尾に「御や括弧始まり」は用いないのです。その辺り文字数を固定してやればいいのですが、疎いので調べるのが億劫なのと、PCなのか移動端末なのか見ているひとのモニタの環境が違いますし、ややこしいなあ。

アナログならば20×20の原稿用紙で一行二十文字の原稿文を、活字になった場合の一行が三十文字なあんて異なる文字数にした場合に人手で調整してやらねばなりません。取り敢えず句読点は機械で処理できる。でも私的には「御」を行の末に、「々」を行の頭に来るのだけは避けたいなあ。この類の禁則処理ってできるのかなあ。アナログにそうはならないように文字間を詰めたり広げたりの作業が必要です。こういった日本語の「掟」機能が機械にあるのかとゆう素朴な疑問でした。
biblio_leaf.jpg
本件は昨日既に指摘されてましたけれど。「KDDI電子書籍」にブーイング 編集者ら「禁則処理、大丈夫?」(「J-CASTニュース2010/10/19 18:58」)他。 フォントも駄目駄目だし、これは非道いじゃん。
現在では「正しきもの」に画像は差し替えられております。購買意欲を持つひとは少ないでしょう。そしてハードとともに朽ちていきます。旧かなも自由自在なら少しぐらっと来るかもしれませんが、何せベータマックスで痛い思いをした世代でありますから。
posted by 井上勝裕 at 19:56| Comment(0) | TrackBack(1) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月24日

ソフトバンクは赤から黄になってモノクロになったぜよ

香港を訪ねたさいに、やはり民族性の違いなのか、建物看板他に、あの赤緑黄色の派手派手しい中華色を多用していることで、現地で知り合ったラムちゃん(当時中学生)が、これらの色は「ラッキーカラー」とゆう類のことを宣った。あの独特の色彩。日本人からすれば悪趣味な気もするけれど。
反対に白と黒と灰色(銀色かもしれない)といった色はあまりよろしくない「葬式の色」なのであり黒のスーツに白や銀のネクタイをしててもアウトみたい。文化の差異は仕方がない。
最近大阪では学生なのか短期研修労働なのか知らないが華人のニューカマーが多い。勿論観光のひともいらっしゃるだろうが。
この人数の多いひとたちの目がらすればAPPLEやソフトバンクはどない映っているだろうか。
sbmlogo.jpg

本日iPhone4発売日で行け行けのソフトバンク。
しかし基本的に薄いグレーの部分なのはソフトバンクモバイルであって、本体は同じ図柄で黄色であります。APPLEに擦り寄ったのかと勘繰りたくなる。
softbanklogo.jpg
ソフトバンクは、同志の船、そしてマストに翻るのは、21世紀の海援隊旗。このシンボルには、50年、100年先の世界の人々が感嘆するような仕事をしたい、という、ソフトバンクの熱い思いが表象されているのです。
「社名の由来」(ソフトバンクホーム頁内)より
海援隊旗は同じ図柄だけど赤です。オーストリアっぽい。日本郵船がそうだし、スリーダイヤモンドの菱の色も赤です。どうして黄色になったのか不思議。しかし今年になってNHKのドラマの影響でやたら「〜ぜよ」が連発される数年前に坂本龍馬贔屓の孫正義社長も不思議である。

話は飛ぶが『龍馬伝』のキャストの年齢が実際とかなり隔たっているところが気になって仕方がない。山内容堂なんかむちゃくちゃな気がする。それに加えてストーリーの時系列が何だかねじれているようで歴史に弱いわたくしは眩暈がいたします。
閑話休題。
あまりにiPhone普及しているので却って止めようかなあと思いつつも二年の縛りが解ける来春迄一応待ってみることにします。しかし一応昨日OSだけは iOS4にしておいた。結構時間がかかった。悲しいことに機種が二世代前なので動きが少し鈍くなったような気がいたします。現物見ても耐えるぞ。
posted by 井上勝裕 at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月29日

わしはこんなとこ来とうはなかった

ぼくは現在駅なかと呼ばれるターミナルのなかで父と酒を交わしていた。
ぼくの基準からすれば、どちらかといえば高級とまではいかないにしても上品で高価な部類に属する日本料理屋だった。
「万博に行った帰りなんや。どないしとる元気でやってるか」
こう言った以外はこれといった話もせず、彼は無口であった。
ぼくは日本酒臭くない冷酒を飲みながら
「ああ、だいたいは大丈夫だ」
といった意の返事をした。後は上品な盛りつけの料理を次から次へとたいらげた。
実家からの距離が遠いことは心細いものである、実際のところ。

郷愁とまではいかぬが、この大きな都市は金を持たぬものにとって鬱陶しいものがある。
早く寮を出て小さい集合住宅でもよいから持ち家を購入しなければと焦っていた。寮は寮なりに楽しかったが問題も多い。それに不動産の価格は上昇し始めた。その上昇曲線の傾斜は急角度になるだろう。普通に考えれば不当な価格である。ぼくは本当は目蒲線沿線のこぢんまりとした賃貸のアパートにでも転居できればと夢見ていたのだけれど、何年か先を現実的に想像すると片道一時間以上の衛星都市でなければ賃貸もままならぬと少し絶望的になっていた。
ひととは嫉妬から逃れることはできぬ。不動産の転売や株式で儲けるひとたちの、あぶく銭からくる贅沢を看過できなかった。畢竟、羨ましいのである。
いずれは海外に行くつもりなので、不動産を所有して信頼のおけるひとに貸せば贅沢ができると考えていた。一部は正解で一部は不正解だ。どちらにせよ、ぼくは時代の空気の勢いを信用してはならぬと学習することになった。
若い、せこい、小さい、と自分を恥じる。

勤務先のビルのなかの喫茶店で父に似たひとを見かけることがあった。ギョッとするほど似ている。異なる階の事務所で働いているらしい。まあそんな気持ちになる。寂しいもんだよ、と、その話をしようと思ったとき
「ああ、もう新幹線の時間や」
そう父は呟くと、そそくさと伝票を手にして席を立った。せっかちなひとである。

顧みればあの頃がお互いにとって一等よかったときだったのかもしれない。
タグ: 満都
posted by 井上勝裕 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月14日

ウインウインの書評の例

最近、仕事の関係上、読みたい本が読めない状態になっている。わたくしは本を紹介することがあるけれど、思いっきり紹介してますじゃあなく、まあエントリィに何となく交差するんですこの本ってなノリである。

さてさて、書評は割のいい仕事ではない。そうゆう話を仄聞したのは雑誌や新聞(こちらが主だけれど)の紙媒体しかなかった時代のことで現在もその状態なのかと推察いたします。
なるほど、この仕事の依頼が来れば本を読むのに費やす時間が必要である。しかも極めて短い分量で本とゆう対象に言及しなければならない。
わたくしは新聞の書評を読むときに書き手の発する行間から漂う微妙な空気を捉えるのに難儀する。その書物が選ばれたのは何故か、おススメなのかイマイチなのか、興味があるなら読んでみたらなのか判断しなければなりません。これはこれで愉しいものである。

ところがネットの書評になると漂う空気が異なるような気がしてならない。

敷居が低いことの弊害がある。
限られた紙面とゆう垣根は低くなる。冗長になるとゆうことは、あまり好ましいことではない。本格的な批評に近いものになる恐れがある。ネタバレ満開になったりする。
若しくは、書物の内容の説明するのに、いかにネタバレ的核心に触れずに且つコンパクトに収めるとゆう「技」が必要であったのが、ネットでは、目次ですませちゃう。でもって評者の本文は少しだけ、なあんてのも多い。
前にも書いたように、私のRSSリーダーには、日本のブログは5つしか登録してないのだが、その一つ、404 Blog Not Found の登録を解除した。理由は、毎週『週刊ダイヤモンド』の広告を読まされるのはごめんだからだ。
「404 Blog Not Foundを読むのをやめた」
池田信夫教授の御発言である。単にRSSリーダー登録を解除したちゅうだけの話だけれど、何となく冷気が漂う。教授はその後に『週刊ダイヤモンド』に批判的御意見を披露されて、こう結ばれる。
いくらブログとはいえ、書評というのは、その人が批評に値すると思ったものを取り上げることに意味がある。内容にかかわらず毎週とりあげるなら、記事ではなく広告という別の欄でやるべきだ。こういうけじめのない商業主義が拡大すると、ただでさえ質の低い日本のブログの質がさらに低下すると思うので、定期的に読むのはやめた。(太字引用元のママ)
そうそう、もうひとつの弊害が本の選定が偏向することである。
アマゾンしてるか否かで紹介する書物が無意識に金が入手できるか否かが大きい。売れ筋の本を紹介すれば金になる。(因みに、わたくしの三年間のアマゾンの収入は三千円に円に満たない)売れれば嬉しいが、媚びるのは厭である。
わたくしは献本ものの書評だと公言されたら少し割り引いてしまう。勿論旧来の紙媒体の書評にも献本的な側面は否定しないけれど、「けじめのない商業主義」との池田教授の見解には同意するものである。
しかし辛辣だなあ(笑)。池田教授と小飼弾氏が、別に仲違いしているわけではないがあまりよろしく思っていらっしゃらない印象を有しておりました。
「『希望を捨てる勇気』発売」で奇しくもダイヤモンド社(笑)刊行されることになり池田教授が小飼弾氏に献本した行為に何かもやもやした、すっきりしない感が生じる。小飼氏の「リバタリアンの希望と勇気 - 書評 - 希望を捨てる勇気」から献本のことを知った。きっと教授はけじめのない商業主義で広告を打って欲しかったのだろうと推察する次第で、教授の頗る低費用で大きな効果を期待する合理性行動にあっぱれ!と感嘆するのであった。ウインウイン。
posted by 井上勝裕 at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月09日

予算ってなんですか

先生に予算ってなんですかってしつもんしました。すると先生は
「いいところに気づきましたね、だいじなことだから家で調べてきなさい」っていわれてしまいました。ちぇっ。しゅくだいになっちゃった。しつもんしなきゃよかった。

辞書で調べたら計画しておく費用とかなんとかってわけがわかんないや。そこでとうさんにききました。するととうさんはこう説明してくれました。
「うーん。あ、そうだなあ、そうそうこないだ、かあさんが用事があるからばんごはん食べていってちょうだいっていわれたんだよ。そこでとうさんがいくら出してくれるのかきいたわけ。するとしかたがないわねえって1,000円だすわよってかあさんがいったわけ。でとうさんはばんごはんを食べたわけ1,000円をもらってさあ。これが予算だよ」
なるほどなあとぼくは思いました。でもすこしぎもん。だからとうさんにきいたんだ。
「それでとうさんは1,000円のばんごはんを食べたの?」
「うーん、それが190円の立ち食いの素うどんだったよ」
「じゃあ810円かあさんに返したわけ?」
ぐぐっ。とうさんはことばにつまり
「まあそんなところかなあ」
といいました。あやしいなあ。
「わかった、こんどかあさんにたしかめておくよ」とぼくはいいました。
「ちょっと待て!」ととうさんが強くいいました。とうさんは
「じつは返していないんだ。もし正直に190円でしたといったらさあ、こんどから190円しかくれないじゃあないか。そしたら困るんだよ。せつやくしてあまったお金が、かあさんの服とかカバンとかになるかもしれないじゃあないか。だからぜんぶ使ったことにしているんだ」

これはおかしいとぼくは思います。つかっていないのにつかったことにしているんだ。
とうさんはこんど会社のひととお酒を飲みに行くのシキンをためているんだそうです。ぶかと行くからおごらないとかっこうが悪いそうです。ゴルフばっかりいって、とかあさんが文句いってたし。おとなって変なの。
「じゃあみんながみんなつかっていないお金をつかったことにしたらお金が足りなくなっちゃうのじゃないかなあ」
そういうと、とうさんは銀行みたいなところで借りるさ、といいました。銀行とだんていしないから、銀行みたいなところってどこなんだろう。ぼくはわかりません。
予算についてはここまでしかわかりませんでした。
先生がこないだ、しょくいん室で「予算があまったからウラガネにしよう」と話していたので、予算ってなにかかんたんに教えてくれると思っただけなんです。
予算でできるシキンとウラガネがはどんなかんけいなんですか?くわしく教えてください。お願いします。
タグ:絵空事 公僕
posted by 井上勝裕 at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

どのくらい晩年

十年後はどうなっているのでしょうね、と何気なく女に訊かれて、おそらく生きてはいないだろうと口にしそうになって思わず男は口をつぐんだ。
男はトランキライザーの類を長年にわたって服用している。薬物というのは毒である。であるから当然解毒としての機能を担っている臓器にじわじわとダメージがいくのは容易に想像できるわけであるが、なかなかこれらの薬物と縁を切ることができぬようになっている。薬物といっても合法的なものである。依存するようになっていてもそれは治療の一環である。

それに加えてアルコールがある。酒は文化であるとか食事を美味しくする為に欠かせないものだと云ういいわけをしながらこれらは容認されている。が薬物とアルコールの併用は禁忌である。躯に悪影響を及ぼすことは自明である。しかしこれまた依存する傾向にある。
同じく煙草が人類にとって敵視されるがこれらの合法的な依存症をきたすものを製造することを禁ずることはできないのは利害が絡むからで、違法とすると、これらの産業に携わるひとびとが困ることになる。自らは疎ましい存在でありながら消費してくれる対象を自らの領域外に移動させているだけである。
そう云えばこれらの酒造や煙草や薬品で益を出している企業は概して大規模である。

現在は知らぬが昔日に大麻はラジャスタン州では合法でガバメントショップで売られていた。団子状に丸められているケシの葉や樹脂状のハシシがあり、これを当地で喫することは違法ではない。
他の州では違法になっていることがあり、警官が強引に手荷物を調べることがあるが所持はしていなかったなあ、しかし帰国時に荷を調べられると大麻の香りが服にしみこんでいるので思い切り調べられたなあ、と男は回想した。
男はLSDは精製度が高いので手は出さなかった。不眠や精神の安定に使用される合法的な薬物は精製度は高い。そう考えると大麻を違法とする現状に首をかしげてしまうのであった。
体内に毒が蓄積されることに対して想像するのは無駄なことだと自嘲的になり、いつ人生がその終焉となるのか推し量りながら、何気なく日日を過ごし、時間が過ぎていく。
何が正解だとか、何が幸せだとか、輝かしいのか暗いのか不明の未来だとか、蓄えの残高とか、そう云ったことに自ずと無関心になっていくのであった。

終焉の後にはひとびとは掌を返だろう。惜しいひとだ、いいひとだった、悲しみを表出する。死者には石礫を投げないものである。たとえ現在まで投げていた者でも。少し恥知らずではないかと石礫を投げていた者を蔑む気持ちがないわけでもない。
全ては一過性である。その豹変ぶりに多くのひとは歴史を学んでいないに等しい。
posted by 井上勝裕 at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月01日

横浜亡国博覧会

約二ヶ月前に横浜でイージス艦「きりしま」を見た。これがイージス艦なるものかと外から眺めていると、ちょうど旗の降納のタイミングであった。どーでもいいけど「こうのう」でATOK2007は変換項目に入っていない。意図的か。
遠目からは旭日旗しか認められなかったが、ああいった儀式が規律正しく為されているとゆうことは安心感がですね形だけかも知れぬが護ってくれるとゆう安心感があるのでありました。
kirisima2.JPG kirisima1.JPG←クリックで拡大ようし。
大きいなあ。『亡国のイージス』を彷彿させる。艦内に入りたい映画の真田広之の気分になりたいと思った。後で聞くところによると艦内公開していたそうである。残念無念。わたくしはホッピー通りに行ってしまったので。
開国博担当した横浜副市長が辞職
横浜市の野田由美子副市長(49)が29日、辞任願を提出し、同日付で受理された。中田宏・前市長に招かれて副市長に就任した野田氏は、閉幕した横 浜開港150周年記念事業「開国博Y150」の担当だった。30日からの横浜市議会決算特別委員会で、開国博の不振について質疑を受ける立場にあっただけ に、市議からは「中田前市長に続く責任逃れだ」との声も上がった。(杉村健)
「asahi.com 2009年09月30日」より一部引用)
物見遊山で行ったわけではないので「開国博Y150」の最中だったとは知らなかった。博覧会か。何かやってるなあ程度の認識でありました。大体ああいったイベントの類が多過ぎるのであります。故に麻痺してしまうので何がしたいのか意味後付け博覧会に堕してしまう。
博覧会の主催者は別に赤字になっても誰が馘首されるわけでもないし、損失した分請求書が来るわけでもない。しかもおかみ主体だとその内容の面白くないこと甚だし。で、ばっくれたわけだなあ、市長と副市長の肩書きだった中田宏とこの有能そうな女史は。
しかしあまりにも露骨な辞め方である。責任逃れと言われても仕方がない。全体の経済効果を含めた膨らました試算ちゅうのは信頼性が低うございます。
posted by 井上勝裕 at 20:00| Comment(3) | TrackBack(1) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

ツイッターのヒとレクサスのレ

巷間でツイッターなるものが流行っているらしいことは知っていた。
栄枯衰勢著しく諸行無常のこの業界のことだからまだ興味が湧かない。現在のところ。あれ始めたら何だかきつそうである。ウェブログの片隅に水色の四角いアイコンをつけているひとが多いのでので認知に至っているのである。
カツマ女史経由でこのツイッターをしている広瀬香美がこ「twitter」の「t」を「ヒ」と誤読したのは日本人としてあり得るなあ、そいでもって「ヒウィッヒヒー 」かよう若干の無理はあるけど理解らなくもない。しかし「ビバ☆ヒウィッヒヒー」(音声注意)なる楽曲までつくる始末。やっぱしどの角度から聴いてもこの歌手は演歌に聴こえるのであります。どこがどうと訊かれても困るが演歌しているちゅうのが個人的見解。しかしこのひとプロなのだから、これって著作権的にどーゆー扱いになるのだろうか。ヒウィッヒヒー的には問題なしになっているのか。
twitter.png
「twitter」の「t」を「ヒ」に見えて仕方がないことに関連して同じ事項が確かわたくしの周辺にあった筈だ、何だったんだろうとものすごくひっかかっておりましたら一昨日やっと思い出した。
LexusGS.jpg
これこれ、これだ。どうだ。
このレクサスとゆう自動車のブランドのロゴはあくまで「LEXUS」の「L」に由来しているのでしょうが、普通ならば、どうしてもわたくしには「レ」に見えてしかたがないのであります。普段は気にならないのであるけど。年配のひとなら「ああトヨタらしい配慮ですなあ全く」となるかどうかは不明也。
posted by 井上勝裕 at 12:48| Comment(3) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月24日

貸本屋

貸本屋は公園の裏手の路地というか袋小路になった迷宮めいたところにあった。
現在との比較はともかく、当時週刊マンガ雑誌を毎週買えるのはブルジョワジーだとされていて私はその貸本屋を利用していた。自分としては紙の質は悪くても新しく大きな画の週刊誌の魅力はあっても、コミックスはまとめ読みができるし紙の質もいいので多くのマンガを借りた。まだマンガは文庫本になっておらずあのサイズには馴染めないでいる。

貸本屋は狭い道に面していて、なかには肺でも患っているかのようないかにも病弱な男が店主で、実際に躰が弱かったようで、いつも漢方薬を煎じる香りがしていたり、薬として大蒜の口臭がした。店の裏側には中庭があり、住居と覚しき平屋の家屋が見えた。年齢は不明であるが親よりは若い。しかしこの男を見ているといつも日野日出志の描く登場人物を思い出してしまい、ここで日野日出志のマンガを借りるときに妙な後ろめたさを感じた。
61QFM8B5J2L._SS500_.jpg
地獄小僧 (ちくま文庫)
いろいろな要素から頗る陰気な場所であったが、ある日、おとなしい店主が烈火の如く怒ったのは、卓上の扇風機がありそれが恐ろしく旧式で、鉄製の羽根でそれを覆っているのが網目状というよりも格子状といっていいくらいの粗さで、赤児の掌なら入ってしまいかねないなかに指を入れようとした客(といってもこどもだが)を見咎めたときのことである。あれには驚いた。

一冊一週間借りるのに五十円位だったと思う。これが高いか安いかは微妙である。概して新しく買った場合の五分の一くらいだったと憶えているけれど、小中学生を相手にしての商売なのでなかなか値付けが難しいところだと思う。三冊以上借りると一冊おまけして四冊分にしてくれたりするので多く借りてともだちの間で貸し借りをすると半分になる。反対に新しい刊は貸出期間を三日間で短縮して回転率を上げていたわけだ。この辺り採算はとれていたのだろうかと現在心配になる。
51liQ5XscBL._SS400_.jpg
デビルマン 愛蔵版 (KCデラックス)
貸本屋の利点は手許にマンガが残らない点であった。万一その内容を親がチェックしたら何てものを読んでるの、推薦図書を読みなさいと言われかねない。活字だとチェックが行き届かないけれど、マンガだと即理解ってしまうのである。それに置く場所がないし、また何度も再読してしまうといった悪癖があるので『あしたのジョー』の最終巻第十九巻だけ持っていたものだから、あれは何度も読んでしまう。
こちらで紹介した『デビルマン』の最終巻もまた印象深く、人間の愚かしさと恐ろしさを感じたものである。
posted by 井上勝裕 at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月02日

市川昆の呪縛

昨日『木枯し紋次郎』を観た。
わたくしは市川昆好きである。あのずばっ!ずばっと画面の急変する爽快さ。擬似的リアリティ。こどもながら劇画的な要素があるように感じたからかも知れない。当時の小学生にしては遅い午後十時半開始のテレビドラマだったけれど楽しみにしていた。
昨日の江口洋介版は、ふっきれていなかった。
多分市川昆の呪縛が解けていないのであろう。上條恒彦の歌が何とも言えず懐旧の念が湧いてくる。加齢したなあ。
51KG9ETCTBL._SS500_.jpg
木枯し紋次郎 DVD-BOX I
洋の東西を問わずチャンバラ活劇的な演劇はあるように思う。合衆国では廃れたけれども西部劇が、欧州でも騎士の戦いだとか、支那でも韓国でもそれらしきものはある。
真剣ではないが(だったら大変じゃん)日本刀を持ったことがあるけれどもそれは重い。あんなの振り回せない。剣道みたいに実際はいかないだろう。突き刺す、凶器として使い倒すところが新鮮でありました。
それに、ひとびとのなりが汚い。その辺が好きでかかわりを持ちたくないと言いながらも結局かかわるじゃねえかようと斜に構えて後で古本屋に潤沢にあった原作も読んだのでわけ。
やはり最初のほうがいいと保守的にも、保守的なつくりをした新作をずっと観ていたのでありました。

つながり)
「こんにゃく食えない紋次郎」
タグ:市川昆
posted by 井上勝裕 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月19日

ねこばば寸前

わたくしは現在までに現金を拾った経験が四回ある。拾ったとゆうより厳密に言えばねこばばできる状態に遭遇したと表現した方が正確かも知れない。

一例目。小学生の頃に近鉄布施駅の改札口であった。当時は高架になっておらず、また自動改札機も設置されていない田舎の駅状態の改札を通過するときに聖徳太子の五千円札を見咎めたのである。わたくしは改札の駅員に「これ落ちてました」と手渡した。

二例目。銀行のATMで金を引き出そうとするとATM機に多分直前の利用者が慌てて置き去りにしたであろうと推察される一万円札を中心とした札が幾枚かあった。営業時間内にしか動いていないATMとゆう失礼なしくみに腹立たしさもあったがそれはさておき、現金がここにありますよお、と大声で銀行員を呼んだ。行員はどうもありがとうございましたとその現金を受領した。

三例目。パチンコ店の自動玉販売機に千円札が八枚、八千円あった。これも古い話で昔は玉を買いに行って各台に行くことになるシステムであった。きっと頭に血が行ってしまい一万円投入して二千円の玉だけ取って八千円のおつりを忘れたものだと思われる。わたくしはパチンコ店の店員に報告した。で彼は預かったのである。

四例目。路上に一万円札だけが落ちていた。近くの交番に届けた。警官は書類を作成しながら、札だけの事例だから落とし主を特定することは難しいだろうなあと言った。少し迷惑そうであった。

ねこばばが刑法第二百五十四条の遺失物横領だと解釈されるのが妥当だろうけど、二例目と三例目はそれら現金が銀行及びパチンコ店の占有になってしまっていると考えれば刑法第二百三十五条の窃盗になるのではなかろうかと何だかよく理解らないのである、そこいらへん。まさかあ。一応遺失物だと思う。

ここで遺失物法で疑問なのが「施設占有者」の扱いである。
「施設占有者」の「施設」とは「建築物その他の施設(車両、船舶、航空機その他の移動施設を含む。)であって、その管理に当たる者が常駐するもの」(遺失物法第二条5項)の占有者である(遺失物法第二条6項)らしい。
したがって一例目の駅、二例目の銀行、三例目のパチンコ店がそれに該当するのでわたくしのとった措置は正しいと考える次第である。実際に
「施設において物件(埋蔵物を除く。第三節において同じ。)の拾得をした拾得者(当該施設の施設占有者を除く。)は、前項の規定にかかわらず、速やかに、当該物件を当該施設の施設占有者に交付しなければならない」(遺失物法第四条2項)
とあるのでこの場合に交番に届けるのは違法行為になるのかな。
上記施設占有者に届けた三例はいづれも預かりとゆうか書面は交付されなかった。
これは「拾得者の請求があったとき」に「物件の種類及び特徴 」「物件の交付を受けた日時」「施設の名称及び所在地並びに施設占有者の氏名(法人にあっては、その名称及び代表者の氏名)」を「記載した書面を交付しなければならない」(遺失物法第十四条)のでわたくしが請求しなかったから交付されなかったのであろう。逆に言えば請求すれば書面の交付をしないとあかんわけである。
先日、喫茶店で自転車の鍵混じりのキーホルダーを拾得し店のアルバイトのねえちゃんに申告すると
「ああ、困ってはるやろうに、また来はると思いますんで預かっときますは」
に対して、まさか、
「あのう、すまぬが、この物件の種類と特徴と交付を受けた日時と施設の名称と所在地並びに施設占有者の氏名を記載した書面を交付し給え」
と言ったら、このひと怖いなあとどんびきされるに相違ないでしょうに。

結局、遺失物が極めて流動性が高いから、信用してもいいのかいなと、パチンコ店員駅員銀行員の順であいつらねこばばしたのとちゃうか疑惑が深いのである。そう考えるのが偏見持ちみたいで厭な気もするが、流動性の高い一万円札のなかの主も、冒頭からこれかよう的国民的啓蒙書にて、ひとに貴賤なしといっておきながら職業には重い軽いを早速断言していらっしゃいますしい。
posted by 井上勝裕 at 23:52| Comment(1) | TrackBack(0) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月04日

きりたん

別に誹謗中傷するつもりは毛頭ないとゆうことをお断りしておくし、あくまでわたくしの個人的な印象なので学校関係者、卒業者の皆様を敵にまわすつもりもないし学校名を略したり愛称で呼ぶことは少なくない。
しかし、この「きりたん」とゆう愛称を広告するのは何ぼなんでもこれは行き過ぎじゃあないかと。それほど強烈であった。
kiritan.jpg
この「きり」は基督教のことを、「たん」は「短期大学」のことを表しているのでしょうが、これらは頻出多用される地味な語句である。それらの語で構成されている校名なのである。
「この未曾有の少子化のなか学生確保の為、何とか強い印象を持ってもらおうとイメチェンを伴うには改革が必要なれば、かようになりまする」
とコンサルタントが企業的戦略を提案して
「いいじゃないの、きりたんってかわいいから」
と理事長みたいなひとが決めたのかもしれぬと想像するし、これが外部のプロじゃあなくって校内からの声で、決まったならば事態はさらに深刻である。
わたくしが品行下劣なせいか花札を連想してしまうのでありました。

もう少し学校側は知恵を絞ってもいいのではないかと無責任にも口にはできないのは、下手にカジュアルに横文字に改名しようとすればそれはそれで大概の基督教系学校には西洋名(どちらが正式かは不明である)がついていて、それらの名称は頗る限定された語なので、それをそのまま日本の学校名にするのは、かぶっちゃうし実際かぶっている。

ならば必然的に地名を取り込んだ名称にならざるを得ない。(関係ないけど昨朝の日本テレビ系讀賣テレビの「ズームイン朝」で「何何せざる(改行)おえない」とゆう大きな文字のテロップが堂堂と出演しておられました。国会で漢字教室しているくらいだからとほほである)名称変更とまではいかぬ愛称レベルもオフィシャルにしてくれるなよとの声が卒業生辺りから出ないだろうか。

話は飛ぶが、こないだ、某セレモニー会館(葬儀会館のことである)で「んんそう」(んんだけ伏字的仮名)とゆうネイミングがある。「んん」は地名の頭二文字でひらがなである。「そう」は「葬」の意味だろうけど、これが伊木だとか壱岐なんかだったら「いきそう」でやばい感じがする。

横文字もケーハクだが、ひらがなもまたあんまりではないかとゆう感がしないでもない。
タグ:学校 日本語
posted by 井上勝裕 at 18:10| Comment(3) | TrackBack(1) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月30日

置き去りにした排泄物は

最近眼について仕方がないのが「未曾有」であります。以前から使用されていたのは間違いないだろうがみぞゆう事件以来気になって仕方がない。ここのところ漢字力とゆうのが政治家の資質として問われている感もしないではない。
ならば某野党の漢字質問魔してくれちゃって大切な国会の時間を浪費する代議士さんにお訊きしたいのだが未曾有ときちんとあなたは書けるのかよお。多分未曽有って書くのではないか。駄目じゃん。
わたくしは偶然ながら書ける。威張っても仕方がないのは、曾我君とゆう知人がいたのだ。曾我曰く、曽は俗字だから使わないとのことで、そのかんけーで知っているだけのことである。
「ワーキングプアが流行ってますからねえ」
との台詞がラジオから流れてきて何だか変だなあと腑に落ちなかった。「ワーキングプア」の代わりに「派遣村」でもいいし「ストーカー」でもいい。正確な日本語としてはこれらの語句の後に「といった社会現象」が多発しているように見受けられるとすべきではないかと個人的に思うわけ。
「少子化で高齢出産しかできないひと」
とゆうのが思わず耳を疑いたくなったが、これは聞き間違いだと強く信じたい。
kanbanPark.jpg
これが英語だと「捨てるな!」との命令形になる筈だと思う。多分「left(追記leave)」を使うかなあと、置き去りにするんじゃねえ、持って返りやがれみたいな。
しかし問題なのはわざわざ括弧付きで記している「お持ち帰り」である。おいおい犬のふんまでマクドナルド化しているではないか。この「お持ち帰り」がよう理解らん。「持ち帰る」とゆう動詞の変化と解釈すれば謙譲語になるのでこれは変である。
ならば「持ち帰るべきふん」とゆう名詞の変化と解釈すれば、ううん美化語か。
あの美化語とゆうのはよくおばか丸出しのおねえちゃんが「おビールにしますか」とゆうような場面で使用される用法である。(お水割りがないのはどうゆうわけだろうかと疑問が残るが)若しくは尊敬語と解釈すべきだろうか。ふんを尊敬語にしてどないするねんと専門家ではないわたくしは、日本語の乱れに頭を悩ませつつ、そのダイナミズムに理解を示すふりをするのでありました。
某代議士さんなら、説明してくれるよね。
posted by 井上勝裕 at 20:57| Comment(2) | TrackBack(1) | あはれなること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする