ダウン(羽毛)とゆうのは高級品であるとゆうのが、わたくしの認識である。わたくしは取扱いが難儀なのでダウンはシェラ・デザインの安いベストを一着だけ所有している。あかんのだろうが洗濯機洗い。
巷間ではモンクレール(これ見よがしに)だとか、登山するひとならヒマルチュリ(これは難易度高い)だとかの高級品を着用しているひとがいて、どちらにせよ高嶺の花であると思っていた。したらば最近インナー仕様のへなへなしたしたものが流行るようになっていた。へえ中着なんだ。
ユニクロ謹製である。価格は六千円しない。用途は異なれど高級品は十倍以上する。安っ。なるほど、やたらと街中で見かけるわけである。買おうかどうしようか迷っていたが、これはかぶりそうだ。所謂ユニクロかぶりちうやつだ。下手すると中共の人民服みてえじゃないか(笑)。暖房不使用対策に部屋着にするのはありかもしれない。
昭和の時代にダウンが流行ったころには、良質な羽毛が枯渇するのではないかと報じられた。現在はどうだろうか。安ければ使い捨て感覚もありだろうし、所得が伸び悩んでいても、かつて高価だった消費財を安くで入手できることで生活レベルは下がった気はしない。低所得者は使い捨て感覚のものを「一生もの」として大切に扱うのである。他方十倍以上の金銭感覚で使い捨てることができる。
わたくしは昭和末期時代の日本が大嫌いだった。東南アジアならば一日千円で充分すぎるほど満足できる贅沢な三食の外食が可能だった。ひきかえ日本は割高で窮屈だ。だからこれらの住みよい国に行きたくて住みたくてしかたがなかった。サザエさんは百貨店で買物をし、磯野波平はゴルフも盆栽も一杯飲みにも行く。中流階級でひとくくりにされる生温さに耐え難いものを感じた。
それが昭和だった。
世界経済のフラット化で大嫌いでない日本になったのかもしれない。代償は国全体の上昇気流が頭打ちとなり、国内のフラットな中流幻想は喪失した。
わたくしは勘違いしていたのである。
賃金に比例して高い物価が緩くなり、観点を変えれば合衆国のように浪費しようとすればでき満足感を得られる。数年前流行ったフリースみたいに中古の衣服がタンスのなかで膨張する。そして捨てられる。羽毛は枯渇しないのか。やっぱり病んでいるような気がいたします。




