2006年01月21日

利殖アレルギー

むかし、潰れた会社があった。その会社では社長を含め競馬狂いで土曜日ともなると競馬のラジオ中継が職場で鳴り響くとゆうありさまであった。
十年以上前の出来事でございます。弊社内に於いて土曜日の出勤日に競馬中継が流れる。わたくしは止めなさいと注意した。でも専務(注・当時)さん、ラジオ大阪なんですよ、いいじゃあないの。倉庫の軽作業場の片隅のラジオの周波数はラジオ大阪固定で動かされた痕跡はない。上岡龍太郎の『歌って笑ってドンドコドン』(懐かしい)が放映時間の後の夕刻で競馬中継だった。切りなさい!お願いだから。
はたまた遡ること十年、同じ場所でイヤホンをつけた初老の男がいたが作業をしながらにたにたしている。後で知ったが株式市場の株の値をラジオで知るのである。いくら上がった下がった儲けたと放言する。当時は制止できる立場にいなかったのだが不快であった。時給何百円で働くのがバカらしくなる。周囲だって伝染する。
そんなんだったらパチンコ屋か競馬競艇場に通いをすればいいではないか。

この世の中には博打をするものとしないものに大別できる。

商品取引や株は素人が手を出すものではない。とゆうのがわたくしの持論でございます。株屋や金貸し屋は博打打である。ところが素人と玄人の世界の境界線が以前にも増して曖昧となってきた。PCのモニタと対峙している個人投資家が増える。外貨の預金が得かどうか利息と手数料とリスクを天秤にかけて思案する主婦がいらっしゃる。何か少しでも得をしよう、儲けようと考える。姑息なことよ。それがあたかも経済的営為であり生産的行為であり経済に貢献しているとゆう大義名分があるので正当化されるのであった。株屋の新聞が日本経済って看板をかけるが如くである。
現在のトレイダーの感覚はヴィデオゲームと同じである。ちょうど最新鋭の兵器で目的地を爆撃する兵士と酷似している。
そりゃあ広義でいえば、実るかどうかの保証のない種蒔く農民も、このような不安定な時期に倉庫を拡張するとかNC工作機を買うかどうかもいった投資もひとつの博打ではあります。あらゆる企業的営為もその存続の為に利益を頂戴する訳なので姑息といえば姑息であります。しかし何か違うんだよなあ、と古くさいぞう、といわれてもわたくしは馴染めないのでございます。

金持ち父さんにはなれそうにもないなあ。
タグ: 博打
posted by 井上勝裕 at 16:59| Comment(1) | TrackBack(2) | 世間さま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TBありがとうございます。僕も競馬をはじめとして「博打」はキライではないので考えさせられます。
Posted by freedomfreedom at 2006年01月21日 19:54
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